Thinking Path
僕という編集者の考え方


不満はちゃんという。言わなかった不満はないものにする覚悟を

 なぜ私は「社内総会屋」といわれてもああいうことを言いつづけるのか?それは、私の信条として、「文句があるのなら言う。言わなかったということはその不満は自分で消化する覚悟を持つ」というのがあるからだ。

 で、これは何も対会社だけではない。対同僚、対上司、対部下いかなる場合もそうだと思っている。共同作業をやってれば、不満は生まれる。だから、それ自身は防ぎようのないことだ(むろん、個々人レベルでは不満が生まれないようにプロジェクトを進めるべきだが)。しかも、不満というのは、ほとんどの場合必ず一方向だ。つまり、不満をもたれている方は気づいてはいないのだ。だからこそ不満はますます募るという構造になっている。

 これを打破する方法はただ1つ、不満を伝えるのである。この伝えるという行為には2つの意味がある。1つは、不満をきちんと伝え解決へ導くというもの。そしてもう1つは、相手に「不満」の内容が伝えなければいけないという状況の下で、なぜ自分がそういう不満をもっているのか整理するという作業が発生するということだ。不満なんてものは、結構つきつめていくと、その作業自体ではなく、前々から思っていたことであったり、あるいは別の嫉妬だったりすることも多い。ならば、解決する方法は、目の前の事象ではないかもしれない。だから、こういう作業が必要なのだ。

 そして、不満を言うときは必ず解決策も考えてから行おう。提案があるのなら、相手も聞きやすい。単に「あんたかがいやなのよ」では相手も対処できないだろう。

 さて、不満を言わないとどうなるか?それはいつまでも相手は気づかないのである。気づいていないものは改善されはしないのだから、不満は永遠に解消できない。で、解決できないものに対して不満をもついうことほど不毛なものはない。解決しなくても気持ちよくやっていけるのなら、あえて波風をたてなくてもよい。だが、僕はそれほど人ができてはない。心の中の不満はどこかで態度に出てしまう。そうとなれば、次は相手が私に対して不満をもつだろう。こういう永遠に不毛な無限ループに陥ることはできるだけ避けなければならない。

 だからやっぱり、不満はその場で言わなければいけないのだ。


(c) 2000, Kenji Yamashita
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